中国の三大悪女にして唯一の女帝となった「武則天」を題材にした「レッドムーダン」。
中国の歴史を語る上で忘れてはいけない存在ですね。
では園沙那絵先生手掛けるレッドムーダンは、どこまで事実に基づき描かれているのか?
ということで、今回は漫画での内容を詳しく見ていき、実際の武則天と比較していこうと思います。
また、魅力的な武則天の周りにいたキャラクターたちが実際どのような人物だったのか比べてみましょう!
目次
レッドームーダンの主人公は実在の人物
さっそくレッドムーダンにも登場した人物たちの実際の姿を簡単に紹介していきたいと思います!
また、レッドムーダンとの比較も併せて行っていきましょう。
則天武后(武則天)
本作品の主人公であり、題材となった人物ですね。
中国歴史上唯一の女帝、中国三大悪女として名高く、後宮でのほかの妃に対する当たりが強いことから悪女と言われておりました。
特に当時の王皇后、そして蕭淑妃へのあたりが強く、死体を酒壺に漬けたというのは有名な話ですね。
なお、死体を酒壺に漬けた話はレッドムーダンでは、後宮に入ったばかりの武照が楊淑妃にいやがらせをされた際に登場していましたね。
徐賢妃(徐恵)
レッドムーダンでは武照と姉妹の契りを交わすほどの仲良しになります。
彼女は最後には賢妃までその品位を上りつめましたが、皇帝の死去のを悲しみ、病にかかり24という若さで亡くなりました。
彼女はとても賢く文学に優れていたことで有名です。
一部では唐初の女詩人であるという説もあるほど…
レッドムーダンでもその賢さがわかる描写がありましたね。
鄭賢妃
レッドムーダンでは、徐恵の前の賢妃であり、武照を含めた下級妃たちの教育係をになっていた鄭賢妃。
実は彼女の情報はあまり歴史には記されておりません。
女性ということや、子供を産まなかったこともあり記録が残りにくかったのかもしれません。
楊淑妃(皇女某)
レッドムーダンにて武照に一番最初に嫌がらせをした楊淑妃は、作中でも話していた通り、隋の第二皇帝「煬帝」でした。
煬帝の娘として後宮に入りました。
しかし史実では彼女が淑妃であった記録はなく楊妃と記載があったため淑妃ではなくその他の上級妃「貴妃」、「德妃」、「賢妃」である可能性も考えられるとのことです。
唐太宗
何を隠そう、レッドムーダン作中の皇帝ですね。
彼は史実上でも、中国史上最高の皇帝であることで有名です。
国を平和に納め、他国との交流も平和的に行っておりました。
レッドムーダンでもとても魅力的で素敵な男性であると表現されていますね。
レッドムーダン後宮内の出来事はフィクションが混ざっている
現在5巻まで発売されているレッドムーダン。
その中でも信じられないエピソードがいくつもありましたね。
ここからは漫画で描かれていたエピソードについて史実と比べてみましょう!
珍児が殺されて酒壺に入れられたエピソード
先ほども少し話しましたが、武照に対し最初にいじめをしたのは楊淑妃でした。
その内容が、武照が宴でかばった女官を殺しお酒に漬け武照に出すというもの。
さて、これは実話なのかというと、半分実話であり半分はフィクションです。
死体のは言った酒壺は確かにありましたが、これをやっていたのは武則天です。
もしかすると園沙那絵先生は楊淑妃を真似てやった。っというような流れを作ろうとしているのかもしれませんね。
蚕から絹を作ったエピソード
鄭賢妃が用意した下級妃への試験は皇帝の絹布を用意すること。
そしてその際に武照が自ら蚕から育てた絹で作った絹布で見事満点を取り、内文学館で勉学を受けることがかないました。
しかし、こちらのエピソードを史実より探してみたのですが、情報がありませんでした。
中国は絹の発祥であり、当時から皇室での絹の作り方を秘匿していたからこそ、取り入れたエピソードなのではないかなと思われます。
なお、上級妃になる女性のほとんどが内文学館で学ばれているので、内文学館で学を得たのは間違いないでしょう。
満月の夜に行われる僧侶との逢引エピソード
当時の後宮には作中同、様に皇帝とその親族を除く男性が入ることを禁止しておりました。
しかし、当然のように女性たちの性欲のはけ口として僧侶が選ばれることはよくあることだったそうです。
その中に、後宮の女性の彼氏的な存在がいても、それはおかしくないですね。
なお、実際に武照が通っていたかと言われると、皇帝の寵愛を受けていたこともありますし、ないと思われます。
レッドムーダンの時代背景
さて、レッドムーダンは現在5巻まで発売されております。
ちょうど皇帝に見初められ、初めて床を一緒に過ごすエピソードに入りました。
これからも武照についてたくさん語られていきそうなレッドムーダンの今後の展開をイメージするためにも則天武后について知っていきましょう!
則天武后(武則天)は歳で女帝となった
さて、一番気になると思われる女帝となった歳はなんと66歳。
即位した年齢からもわかるように、則天武后はかなりの長寿だったようです。
そして15年巻女帝として君臨し退位しました。
彼女は人を見る眼が確かにあったようで、在位期間で多くの有能な人材を起用してきたのは有名な話ですね。
中国三大悪女となった理由
中国唯一の女帝であることで有名になった則天武后。
その他にも中国三大悪女として、現代にも名前を轟かせていますね。
彼女の悪女エピソードで一番有名なのは、先ほども上げた死体を酒壺に漬けるという行為でした。
彼女は多くの女官を殺し、酒に漬けてはその悪行を王皇后や蕭淑妃に擦り付けていたとのことです。
それにより、2人の悪評が広まり自分の盤石をより強めていったのです。
則天武后の最期
則天武后はそれこそ、亡くなる直前まで皇帝の座を譲らなかったとのことです。
そこだけ聞くととても欲張りな女性に感じてしまいますが、これには訳があります。
則天武后は自分の子に継がせることができないのに、甥に継がせることはよくないことであると認識していたようです。
とはいえ、その自分の子を殺したのも則天武后本人なので、どうしたものかという感じですね。
則天武后の後継
則天武后は退位時に「則天大聖天后」という称号をもらうことを約束しました。
実際に則天大聖天后という尊称で祀られている則天武后の後に即位したのは「中宗」
中宗は即位後、則天武后に対抗するべく動いていたのですが、則天武后からの許可を得ることができなかったり、怒りによって口を滑らしたりしてしまいました。
その結果任期はたったの55日間。
しかしその後すぐに則天武后がなくなり、夫である高宗と同じ墓に入ったとのことです。
レッドームーダンどこまで実話?|まとめ
中国の歴史上の中でもっとも有名な女性である則天武后をテーマにしたレッドムーダン。
かなり衝撃的なエピソードである酒壺が実話に基づいて作られているというのを考えると、確かに顔が引きつるようなシーンでしたね。
実話から得たからこそのリアルなシーンと言えるでしょう。
今後レッドムーダンがどのようなストーリーになっていくのか気になります。
また、武照がどのようにして輝かしい女帝になっていくのか、今後も見逃せませんね!